戦艦 大和CHILDREN ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

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戦艦大和CHILDREN Ver1.5

戦艦大和 分析

大和、水上特攻(燃料編)

戦艦大和は、沖縄に集結する敵水上艦艇、輸送船団を撃滅すべく、昭和20年4月6日午後3時20分、柱島基地から出撃した。
生還を期しない水上特攻部隊の旗艦として僚艦9隻(軽巡矢矧、駆逐艦雪風、浜風、磯風、朝霜、霞、初霜、冬月、涼月)と共に。制空権は敵にあり、大和が沖縄に到着するまでに敵航空機に撃沈される事は必至であり、作戦というより「大和の死に場所」を求めた特攻隊の美名を冠した出撃であったといわれる。

この出撃の際、大和は「片道分の燃料しか搭載していなかった」と言われている。当時連合艦隊参謀長より発せられた作戦計画は、搭載燃料2000トン以内というもので、大和が沖縄を往復する為には4000トンの燃料が必要なので、この作戦通りであったのなら、片道分の燃料しか搭載していなかった事になる。

当時どの基地の重油タンも殆どが空で、訓練もできない状態であった。
軍令部からの作戦命令も水上特攻である事と重油の枯渇により片道分の燃料としたのである。しかし、実際は大和含め第二艦隊、水雷戦隊が往復できるだけの4000トンを搭載して出撃した可能性が大である。
現場である軍需部の独自の判断で当時「武士の情けを知らないような事はできない。」との事で軍令部の指示した2000トンは帳簿から出したが、それ以外の2000トンは空タンクに残っている重油を手押しポンプで揚げて大和になんとか搭載したとの事である。

実際にタンクの容量が少なく、航続距離も出ない駆逐艦が4隻無事生還していることから、同じく出撃した大和に片道分の燃料しか搭載していなかったということは考えにくい。
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