戦艦 大和CHILDREN ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

戦艦大和といえば・・・・ここ!!

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戦艦大和CHILDREN Ver1.5

戦艦大和 歴史

大和の静かなる建造

戦艦大和(計画名A140F5)は1937年11月4日、広島県呉市の呉海軍工廠の造船ドック〔造船船渠〕で起工された(※第4ドック〔第4船渠〕は整備・補修・艤装用ドックで建造用ではなかった)。
その乾ドックは大和建造の為に拡張されて、長さが314m、幅45m、深さ11mとなった。米国に本型を超越する戦艦を作らせぬ為に、それは秘密裏に建造され、当初は海軍の中でも一部に知らされているだけだったと言われていた。

帝国議会での報告でも実際の建造予算は1億4287万円であったが、計上予算はその8割の9800万円とされた。大和の建造は軍極秘で帝国議会に対しても、排水量35000tの戦艦と架空の駆逐艦3隻と潜水艦1隻を建造するとして計上して予算要求されたものだった。

機密保持のため造船所を見下ろせる所には板塀が設けられ、ドックには艦の長さがわからないよう半分に屋根がかけられた。建造に携わる者は厳しい身元調査が行われ、造船所自体が厳しい機密保持のために管制下におかれた。

そして1940年8月8日進水、『天皇陛下進水式御臨席』の噂も飛び交う中、結局は海軍大臣代理より、それまで仮称「一号艦」と呼ばれていたこの巨艦は、あえて臨席している面々に聞こえないように小声で「大和」と命名された(なお軍艦の艦名に関しては海軍省の提出した二つの候補から天皇が選定した一つをその艦に命名するのが慣例である)。
もっとも、進水といっても、武蔵の様に陸の船台から文字通り進水させるのではなく、大和の場合はただドックに注水するだけであった。
しかも、機密保持からその進水式は公表されることもなく、世界一の戦艦の進水式としては非常に寂しいものに思われたという。
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